世界に認められた才能で、
地元広島のビールをつくる
ビール造りと出会い山梨で修業
広島を出て東京農業大学へ入学し酒造りを学びました。いろんなお酒を造る中で、ビールを造るのが一番楽しいと感じたんです。そんな時、師匠でありキリンビールで「一番搾り」や「ハートランド」の醸造開発責任者を歴任した山田一巳さんの著書「ビール職人、美味いビールを語る」に出会いました。そこに書いてあった「十人が飲んで三人が本当に感動するようなビールを、私はつくりたいんです。」という言葉に感銘を受け、「この人の元でビール造りを学びたい!」と思ったんです。大学を卒業後、初代醸造長として山田さんが勤めていた山梨県の八ヶ岳ブルワリーに就職し14年修行を重ねました。広島に帰ろうかなと思ったタイミングでレストランが燃えてしまい延期するなど、色々あっての14年でした。学ばせていただいた御恩を返すためにも、後人を育てて帰れる状況を作りたかったですし、何か爪痕を残して帰りたいという気持ちもありました。「広島に帰るなら山梨県を代表するビールを開発してから」という想いが、世界大会で最優秀賞を獲得するという大きな成果につながったと思います。そこに至るまでは長かったですけど、自分なりに貢献できたと思いますし、培ったものもあったので本当に良い経験になりました。
松岡風人のビール造り
ビールは大きく分けてラガーとエールがあり、僕はラガーというスタイルにこだわっています。ラガーは低温でじっくり発酵・熟成させるビール。仕上がるまでに時間がかかります。ラガーが1回できる間にエールだったら2回造れるので、クラフトブルワリーは生産性が高いエールが多いと思います。しかも、ラガーは温度管理が繊細なので、ちょっとでも温度が上がってしまうと悪い香りが出るので、あんばいがすごく難しいんです。でも自分が飲んでおいしいと思えるのがラガーだし、ラガー造りの面倒くささも僕は美学だと思っているので自分のスタイルに合っていると思います。
ビールは漢字で書くと「麦のお酒」。今のクラフトビールは大半が「ホップ」のお酒になっていると感じています。僕が造りたいのは麦のお酒なので一口目から麦を感じられるように造っています。ラガービールは食前、食中、食後いつでも飲めるので、好きなタイミングで好きな料理と楽しめます。うちは酵母から発生する炭酸ガスしか使っていない「ナチュラルカーボネーションスタイル」なので、ほどよいシュワシュワ感があります。ビールは主張がないのが最高のビールと思っているので、のどごし重視よりは料理の味を邪魔しない、風味はあるが食事の邪魔にならない造りにしています。ビール本来のうまさをつきつめて、クラフトラガーならではのおいしさを追求したいと思います。山田さんの造ったハートランドを尊敬しているので、その軸でクラフトビールとして造ればどうなるか、といった視点でピルスナーを造っています。1杯目専用ラガー「ファーストラガー」で米を使った理由は、飲み口を重くなく軽くしたいからです。日本人の舌にぴったりと合う味に仕上げました。もちろん地産地消も意識しています。使っているのは、地元の府中市の米で、水は尾道の水。八ヶ岳の水とは違いますが、尾道にも水脈が通っているので水質は良いです。
酵母は1回目に使った酵母を2回目回収してまた培養させ使っています。その中で酵母は変化していき、ここの水に慣れていくんです。広島に馴染んでいくのだと思います。
そういった変化がクラフトビールの楽しみではありますが、品質がバラついているわけではありません。その中で品質を保つのも腕の見せ所です。
ただ、クラフトビールは酵母が生きているため、缶につめると味が変わって行くので、極力早く飲んでほしいと思っています。ネタだとは思いますが、海外には賞味期限数時間というブルワリーもあるくらいですよ笑
実はクラフトビールは薄利なので、始めても続けるのが難しいんです。過去に地ビールのブームが1995年くらいに起こりました。その結果、ブームに乗ってたくさん生まれた地ビールメーカーが、2000年くらいに一気につぶれてしまったんです。僕がビール業界に入ったのは、そんな悲惨な状況の時でした。だから、続けていくには飲んでくれる人が満足する、きちんとおいしいビールを造ることがとても重要だと感じます。僕の中ではビール職人は料理人と一緒。「このビールの味がこうだからおいしい」と見極められるような味覚を持っていないと、ビール職人になるべきではないと僕は思っています。だから、最初は常にビールを試飲するところからスタートしました。ビールの味を舌に植え付けていくことを常にやれと、師匠の山田さんから言われました。僕は人が感動するビールを広島に残す覚悟を持って帰ってきました。これからも頑張っていきたいと思います。
ひろしま未来区民として
山梨県の八ヶ岳ブルワリーの入社面接の時に「いずれ広島に帰ってビールを造ります」と社長に言っていました。広島を代表するビールを造るのが自分の使命だと思っていますし、それを造る意味が僕にはあります。そして、僕が帰ってきた意味はそこにあります。
でもいざ帰るとなった時は不安の方が強かったです。広島出身だからと言って地元の人がどう思うかは分かりません。しかも自分の出身は広島の府中市で、今拠点にしている尾道ではありません。尾道はとても歴史がある町なので、自分が受け入れてもらえるかどうかはわかりませんでした。でも尾道でやろうと思った決め手はビールに合う景色と水の良さ。しまなみ海道と瀬戸内海の景色がビールと抜群に相性がいい。ロゴも尾道の海をイメージして作りました。そして不安とは裏腹に、尾道で始めるに当たってはいろんな人達が協力してくれました。人の温かさも尾道にはあります。
ピルスナーの軸を貫きつつ、尾道ならではのビールも造っていきたいです。ビアカクテルという意味では食べられるものは何を入れても良いので、しまなみのフルーツを使ったスムージースタイルのビールにも挑戦しています。ピルスナーという骨があって遊ぶ、ぶらさない部分とぶれる部分ですね。透明のビール、レモンサワービアー、軸がある上、多様なスタイルにもどんどん挑戦していきたいです。
今までは品質とか醸造技術ばっかりを気にしてやっていましたが、今後はクラフトビール全体や、広島の未来の事も考えてやっていかないといけないなと思っています。クラフトビール自体がローカルに根付くという意味合いもあるので、地域に根ざしたみなさんが誇れるクラフトビールメーカーになっていたいと思います。
広島では今若い世代がどんどん県外に出て行っています。しかし、自分は一回広島を出て、力をつけて今こうして広島に戻ってきました。若い世代の人に、広島でやっていきたいと思ってもらえるためにも、好きなものを突き詰めてビジネスで成り立つ事を証明しないといけません。その姿を見て、一旦広島を出た若い人たちが戻ってきて、広島を盛り上げてほしいと思っています。