鈴木 隆

株式会社ファームスズキ代表 オイスタープロフェッショナル

鈴木 隆

suzuki takashi

本の未来を、カキから変える。
広島・大崎上島の養殖家

世界を見て、今の日本の立ち位置がはっきり見えた

生物が好きで、毎日のように一人で釣りに行くような子どもでした。魚好きは大人になっても変わらず、山口県の水産大学校へ。大学では水産業に貢献する研究やフィールドワークができるのだろうと考えていましたが、ふたを開けてみると学会発表のための研究をする先生ばかりで、実務からはほど遠いことに失望しました。でも、一人だけ心惹かれた先生がいたので、その先生の研究室に入りました。印象的だったのは、卒論の研究のために用意してもらった水槽や機械を組み立て、データを取った時のこと。説明書どおりに組み立ててデータを取り先生に報告したところ、「そんなことは誰にでもできる。自分で目標地点を考え、逆算して、そのための実験装置作りから考えてデータを取り、論文を書いて初めて自分でやることに価値が生まれる」と言われました。この時先生に教わったことは、人生の大きな指標になっています。

photo1

大学卒業後は東京・築地の水産物卸の会社に就職し、東南アジア諸国からエビを輸入する仕事を担当しました。発展途上国ではありますが、実際に行ってみると、水産加工工場は欧米の基準を満たして規模も大きく、日本のレベルをはるかに超えていました。交通もなかなか整っていないような小さな町にも、毎日のように世界中からバイヤーが訪れるんです。欧米のバイヤーが100や200コンテナ単位で買っていくのに、ぼくは1か月1コンテナがせいぜい。日本向けは安いうえに少量なので、非効率だと言われました。その時、世界の中の日本のポジションがはっきり見えたんです。

それから、長期休暇のタイミングで欧米の養殖会社や市場を見てまわりました。世界のシーフードのマーケットが魅力的に感じて、今後自分が魚を売るなら日本のものを国内で売るのではなく、日本のものを海外に輸出できるようにしたいと思いました。そんなことを考えていた時、広島カキの販売を行っている「クニヒロ」の社長にスカウトされたのですが、当時の僕は東京に住んで毎月のように海外へエビを仕入れに行く充実した日々で、マグロやサーモン、エビなどと比べてマーケットが小さいカキに魅力を感じませんでした。

欧米式のカキ養殖の道へ

転機は2006年。広島でノロウイルスが大流行してカキが売れなくなり、クニヒロが営業赤字だというニュースを香港で知りました。「広島で売れないなら、中国や香港で売らせてください」と、スカウトしてくれたクニヒロのカキを輸出することになったんです。それがきっかけで2008年に独立し、冷凍カキ加工品を輸出するケーエス商会株式会社を設立。加工品の輸出業はうまく軌道に乗りました。ところが、生のカキを輸出すると大クレームに。欧米のカキに比べて、日本のカキは殻の形が悪い、身入りが不安定だと言われたんです。これは、マーケットの違いから生まれるものです。日本ではむき身にされたカキを加熱して食べる文化。一方、海外の市場で好まれるのは生食用のカキで殻のついた活きた状態で流通されます。だから殻の形まできれいに揃っていることが求められます。それならば、世界で勝負できるカキをつくってみようと思いました。

photo2

販売は海外での仕事がほとんどだったので、相談相手も自然と外国人ばかりになりました。世界の展示会に出ると、だいたいどこに行っても同じメーカーが揃います。お互いに競合という認識はなく、仲良くなりました。「今度養殖をしようと思っている」と話すと、「それならうちで教えてあげるよ」と誘ってもらい、シアトルやニュージーランド、フランスでも教えてもらいました。

そうして選んだ方法は、塩田を使うフランスなどのカキ養殖法。日本で主流のカキいかだではなく、フランスから取り寄せた機械でバスケットに入れてカキを育てる方法です。塩田跡の池でのカキ養殖は20代のころにフランスで見たことがあったので、僕にとっては目新しいものではありませんでした。養殖できる場所を探して広島県の沿岸を福山から廿日市までめぐり、大崎上島の塩田跡地を見つけました。水を抜いて土地を耕し、汚染されていない海底の澄んだ地下水と海水を取り込んで、カキ養殖の池を整えました。カキのエサとなる栄養価の高い植物プランクトンが最大限つくりだせる環境を用意し、生食が好まれる海外のマーケットで戦える小ぶりで形のいいあたらないカキをつくっています。

photo3

養殖池の水に浮かぶ200以上のバスケットで、それぞれ8~10kgのカキを育てています。機械はフランスのベンチャー企業から購入したもので、最先端の優れもの。バスケットを水中に入れたり水面に上げたりして、人工的な干潮満潮を繰り返しているんです。自然の干潮満潮は1日に2回しか起こりませんが、これなら何十回でも設定できます。カキは水から出て日光に晒されると殻が厚くなり、力を入れて殻をとじるので貝柱が太くなります。水中に入ると、その反動で一気にエサを食べる。これを短いスパンで繰り返すことで、クオリティだけでなく生育スピードも上がり、2cmのカキが出荷できる7cmになるまで平均半年に短縮できます。

養殖を始めて最初の5年ほどは計画どおりにいきませんでした。世界のどこで勉強させてもらっても、最後には必ず「これはあくまでもここの養殖方法だから、そのまま持ち帰ってもだめだぞ。自分のところの環境に合った形にアレンジしないとだめだ」と口を酸っぱくして言われました。その言葉のとおり、アレンジに5年かかったわけです。この経験から、一番大事なのは環境づくりだと気づきました。環境が整えば、自然とカキも育ってくれる。今はカキが過ごしやすい環境をつくることを重視し、エネルギーと時間を費やしています。

ひろしま未来区民として

アジアのマーケットにカキを販売しに行くと、競合になるのはアメリカやカナダ、オセアニア諸国、フランスなどです。これらの国々は食料自給率が100%以上で、だからアジア向けに輸出できる。でも、日本の食料自給率は38%に留まります。どんな時代にも、日本人が生きていくうえで必要な最低限の食料をつくる力を失っては、日本はだめになってしまうでしょう。

photo1

カキ養殖を勉強し始めたころ、海外に行くと20~30代の働く若い人たちは「この仕事は成長産業で、将来性があるんだ」と口を揃えて言いました。でも、日本に帰ってカキの養殖を担う人々を見ると、高齢者や外国人ばかり。そして「この仕事は衰退していくばかり」「3Kでどうしようもない、だめだ」とみんな悲観的です。同じカキをつくっていて、なぜこんなにも違うのだろうという思いがずっとあります。

日本の産業は人海戦術で成り立っていました。しかし、人口が減少するにつれて成り立たなくなり、人手不足を外国人で補うことは世界からも非難されています。ずっと同じ方法で存続することは難しい。少ない人数で量産できる体制をつくるべきです。そのためにも、僕は培った技術をどんどん公開したい。ファームスズキの養殖は、エサは植物プランクトン、池の中で育て、機械の動力は太陽光発電。環境にやさしいカキであるうえに、この方法なら労働力もほとんどいりません。会社の従業員はたったの5人で、どこにいてもインターネット上でカキを管理し、出荷できる体制を整えています。

いいところは真似してもらい、裾野を広げてもらうことでよりよい世界になっていく。これは自分のためでもあり、未来の子どもたちのためでもあります。若い世代が参入しやすい環境をつくっていけるかが大きなポイント。これこそが、今僕たちの世代が意識して取り組むべきことだと考えています。

photo1
プロフィール

プロフィール

鈴木隆さん

1976年生まれ/
東京都出身

ひろしま未来区

あなたも!

ひろしま未来区民になる!

ひろしま未来区広報室SNS

Instagram X