西日本豪雨から2年が過ぎました。16人が亡くなった坂町小屋浦地区では施設の復旧などが進む一方で、家族や家を失った被災者は今も自宅に帰れずにいます。
「私たちは豪雨災害で大切な家族を亡くした悲しさや無念さを決して忘れることはないでしょう」
追悼式で遺族代表あいさつする水尻忠道さん(58)。おととしの豪雨災害で同居していた母のキク子さん(当時85歳)と叔母の須磨子さん(当時82歳)を亡くしました。
水尻忠道さん(58)「(1年目は)近所のおばあちゃんとか見たらおふくろを思い出して涙が出た。2年目でも1カ月に1回くらいは(涙が出る)」
広島県坂町小屋浦地区では2年前の豪雨で16人が死亡し、いまだ1人の行方がわかっていません。
土石流に飲み込まれた街は2年たち・・・。同ポジで道路土砂は撤去され、道路なども元通りに。
住民「変わりましたよね。今いたるところにダム工事、ダムが9基もできるということで、いっぱい斜面削られている」「徐々にきれいになっている感じはする。新しい家がぽつぽつとできている」
自宅などが被災した人を対象にした災害公営住宅も町内5カ所に完成し、合わせて85世帯が整備されました。
災害公営住宅に入居・福井ムツミさん(87)「また今から落ち着かないといけないなと思う。みんながそうだから。しょうがないね、頑張らなくちゃ。どうしても頑張らなくちゃいけない。命がある間は」
土砂で埋まった保育園も取り壊され、新しい建物が9月末の完成を目指して工事中です。
街の復興は順調に進んでるようにも見えますが・・・小屋浦地区の人口は災害発生前と比べ194人減っています。壊れた家屋を再建できない人や災害が心配で住み慣れた場所を離れた人も少なくないそうです。
水尻忠道さんさんも自宅に戻れていない1人です。
水尻忠道さん「(2年たって)帰りたい気持ちが多くなった」「生まれたところで空気が良くて、自然が豊かで」
水尻さんは全壊した自宅を取り壊し更地にした場所に再び家を建てようと準備しています。しかし近くの砂防ダムの工事は着工すらしておらず、どんなに早くとも来年の夏までは戻れないと話します。
水尻忠道さん「復興は家が建って治りましただけではなくて街づくりが復興。まずはやっぱり人口を増やす努力をしないと」