緑が生い茂る高台にある慰霊碑。明治12年以降 殉職した警察職員458人の名前が刻まれています。多くは原爆の犠牲者、そして交通取り締まり中の事故で亡くなった警察官など多くの名前が並ぶ中最後の列に刻まれている3人は西日本豪雨で亡くなった警察官です。
県警によりますと、自然災害で亡くなったのは確認できる限りこの3人だけだといいます
5年前の西日本豪雨で各地で土砂災害が発生した安芸区。災害関連死を含めて19人が亡くなり、今も2人の行方が分かっていません。
呉署の交通課で勤務していた晋川尚人さんと同僚の山崎賢弘さん。立ち往生していた車の避難誘導中に土石流に巻き込まれ行方不明となりました。
尚人さんの父・芳宏さんは災害直後から、息子を探し続けていました。約10日後、尚人さんと賢弘さんは遺体で発見、最後まで誘導を続け7人が避難できたといいます。
今月1日、芳宏さんの姿は2人が見つかった県道34号沿いを流れる矢野川の近くにありました。2年前、警察OBや同期たちによって石碑が建てられたのです。
晋川芳宏さん(59)「とにかくきれいにして彼らのそばに来て手を合わす、そういう場所にしています。あっという間の5年であって、ここに来るときのうのことのように全部がよみがえってくる」
今も月に3回ほどこの場所を訪れるという芳宏さん。2人の死を風化させまいと先月、尚人さんの同期92人からメッセージを集めプレートを作りました。
晋川芳宏さん「2人の警察官がここで殉職したということを忘れてほしくない。生きた証を後世に伝えるためにも」
土石流が迫る中、最後まで責務を全うした2人の警察官。芳宏さんは尚人さんが教えてくれた「命の大切さ」を胸にこれからも経験を語り継いでいきます。
晋川芳宏さん(59)「僕ら彼が亡くなったことによって大きく人生変わって辛い思いをずっとしている。1人の命は自分だけの命ではない。いつかは我が身かもしれないと自分の命は自分で守ろうという思いをより強く5年目も皆さんに伝えていけたら」