土砂災害から10年 被災地の祈り 「次の世代に伝えていきたい」広島

広島防災・災害

「午前2時30分ちょうどをお知らせします」…「黙とう」

10年前の8月20日、山のふもとにあった住宅街の景色は一変しました…

妊娠中の娘とその夫を亡くした 若松順二さん(61)「こういうことが起きたっていうのは当然伝えていっていただきたいと思います」

2014年8月20日

松藤好典記者「町が茶色一色土の色で埋め尽くされています。どれだけの家が流されたのかこの辺りは無傷の家を探す方が難しいような状況です」2014年8月20日未明、広島市北部を襲った土砂災害、濁流が、住宅街を飲み込みました。発生した土砂災害は166カ所、関連死を含め77人の命が奪われました。

あの日から10年。被害の大きかった安佐南区八木3丁目では災害が発生したとみられる午前2時半ごろから遺族が追悼に訪れました。

妊娠中だった娘とその夫を亡くした若松順二さん。心の傷は今も癒えません。

妊娠中の娘とその夫を亡くした 若松順二さん(61)「(10年前から)基本的には変わらない。会いたいし、寂しいし、悔しい」

緑井上組町内会 西村斉時会長「やっぱり(災害を)忘れてはいけないということで、とにかく次の世代に伝えていきたい」

安佐南区や安佐北区に設置された献花台。午前中から地域の住民らが花を手向けに訪れる中、ひときわ特別な思いで8月20日を迎えた人物がいました。

宮本祥子さんです。

両親とともに被災 宮本祥子さん「やはり後悔が大きいです。あの時何が何でも家に帰っていれば父も母も助けられたかもしれないという思いが強いです」

被災当時父と母の3人で暮らしていましたが、祥子さんの外出中に家が土砂に流され両親ががれきに埋まりました。2人は救出されましたが父・敏冶さんは3日後に死亡、母・孝子さんも左足を切断することに。

祥子さんが介護を続けていましたが母・孝子さんは今年5月に亡くなりました。

宮本祥子さん「始まりは土砂災害だったとおもう。助けられた母と一緒に生きてきて全てが180度 生活も環境も変わってしまったので、時間が止まったっていうのが当てはまるくらいそのまんまですかね」

もう二度と災害を起こさないために広島市は「復興まちづくりビジョン」を策定。32カ所に設置予定だった砂防ダムは全て設置されました。

一方で計画に遅れが出ている事業もー。

八木・緑井地区では全長2.8kmの広域避難路が建設中ですが、今年度を予定していた完成は2028年度に遅れる見通しとなっています。

松井市長「災害におけるリスクを自分ごととしてしっかり考えるという習慣を習慣づけするために日頃から色んな活動をしていただく。その支援を行政としてやり続ける」

77人が犠牲となったあの日から10年ー。

復興は進んでも心に刻まれた時間はまだあの日のままです。