日本被団協のノーベル平和賞受賞決定から18日で1週間。あの日、広島市役所で知らせを聞いた被爆者の思いとは。
日本被団協の代表委員で県被団協の理事長を務める箕牧智之さん(82)。受賞の知らせから4日、広島市内のホテルでマスコミ対応に追われていた箕牧さんはようやく北広島町の自宅に帰ってきました。
箕牧智之さん「まだ昨日帰ったばっかりじゃけスーツケールも出っぱなし新聞も記事をたくさんもらった」
さらに反響は予想以上でした。
「家に帰ったら留守番電話もパソコンのメールもパンクするほど入っていた」それは国内のみならず・・・
「ブラジル日報って書いてあるだろう。これよ。ブラジルの文字で入っているだろブラジルの新聞記事かなんかにでている」
受賞後、箕牧さんが向かったのは原爆慰霊碑です。
「坪井さんがいつも言われるように私たちは核兵器廃絶をあきらめません」
被爆者による草の根運動が評価をされた今回の受賞。しかし被爆者の高齢化は進み、他県では解散した被爆者団体もあるといいます。
3歳で被爆した箕牧さんはこれまで父を探しに母親と入試被爆した体験を紙芝居で証言してきました。しかし・・・
「そりゃ坪井さんと谷口さんに行ってもらったらもっともっと訴える力が違ったね」
7年前、ICAN=「核兵器廃絶国際キャンペーン」が平和賞を受賞したときもオスロに行きましたが、そのときは証言する機会がありませんでした。
今回こそは・・・最後の力を振り絞りオスロで被爆証言をしたいと考えています。
箕牧智之さん「ノーベル平和賞受賞するにあたって私たちもさらに心を引き締めて核兵器廃絶を世界に訴えて12000発がすぐに0になるとは思わないが、それが実現したときにほっぺたをつねりなさいと坪井さんに言われている」
授賞式は12月10日、箕牧さんは亡くなった多くの被爆者を思いながら準備を進めています。