#特番 広島老舗物語
2013年01月05日
城下町広島――。そこには、今も続く老舗があります。
老舗を守るために脈々と伝えられてきた匠の技と伝統。
その老舗には広島県民のたくさんの思い出も・・・。
新しい年、変化の激しい時代をどう生き抜いていけばいいのか?! 私たちはその答えを探すために、老舗を訪ねる「旅」に出ます。 本物を知りつくしたゲスト=中尾彬さんを、松本裕見子が尾道や三原の老舗をご案内します。 そしてなべさんと大ちゃんは広島を代表する味、牡蠣とあなごの老舗へ!
■映画「東京物語」の舞台となった老舗割烹旅館
明治35年創業の老舗割烹旅館「竹村家本館」。 尾道水道を一望できる素晴らしいロケーションに建つ。 基本的にはテレビ取材お断りだが、今回は特別に取材を受けていただけることに! 大正時代に建て替えられた建物、門、塀が登録有形文化財に認定されており、文化財に宿泊できる日本国内でも数少ない宿。 映画「東京物語」の尾道ロケ地としても使われ、小津安二郎監督、主演の原節子なども宿泊し、先々代の女将が俳優に尾道弁指導もしたという。 お料理は瀬戸内海の天然の魚を使った本格懐石料理。 料理の美が器を、器の美が料理を引き出し、双方の美が重なり合ってこそ料理の神髄と器にもこだわる。その瀬戸内海の新鮮な魚の味に感激の中尾さん。 また、板場が何十年もの間、記録し続けているお客様の名前と食事のメニュー表に、20数年前に夫婦で宿泊した中尾さんの名前も発見し、さらに感激! この竹村家、創業当時は、なんと尾道初の「洋食屋」だったとか。 しかも今でも当時から続く裏メニューが存在する?! 2年間に先代の父親を亡くし跡を継いだ女将、その覚悟とは...。
■日本画の巨匠・横山大観が愛飲した酒
創業は万延2年(1860年)。そして明治の中期には当時有していた20の銘柄が一つとなり「醉心」が誕生した。三原の酒蔵「醉心山根本店」。 横山大観は日に2升3合、晩年でも1日1升飲んでいたいという。 その大観が最も愛飲した酒が三原の醉心。 大観と繋がりが深かったのは、先々代の山根薫(やまねかおる)社長で、出会いは昭和初期。 東京販売店にいつも酒を買いに来る上品な女性がいた。それが大観夫人。 興味を持った薫が自宅にうかがい酒造りの話をしたところ意気投合。 「酒づくりも絵を描くのも芸術だ」と大観は大いに共鳴。 感動した薫は一生分の飲み分を約束。それ以来大観は醉心に毎年1枚ずつ作品を寄贈。 この約束は、昭和33年に大観が永眠するまで続く。 無くなる2年前、薬や水さえ受け付けなくなった重体になった時でも、醉心だけは喉を越したという。 薫の口癖は「甘口とか辛口とかいうが、うちは旨口だ」。 その旨口のお酒を試飲した中尾さん、ふくよかな味わいにビックリ! さらに、今でも大切に保存されている貴重な大観の絵や、 「酔心のお酒を東京に送ってほしい」と頼む大観直筆の珍しい手紙も拝見することに。
■江戸時代創業の寿司屋
創業は、天保3年。当時は仕出し屋をしていたと言われる「宮徳」。 江戸時代から継ぎ足し使い続けているタレをつけて焼いた穴子が自慢。 この穴子がたっぷりと入り、せいろで蒸した"せいろすし"が江戸時代から続く料理。 料理を入れるせいろも江戸時代の物。 毎年、塗り直して大切に使い続けている。 中尾さんは温かいお寿司を気に入り、「味付けが繊細で素晴らしい!」と完食! 6代目の店主はアメリカの大学に通っていた頃、5代目の父が病気で倒れ、跡を継ぐことに。 父の形見の包丁を手に、「味付けは変えるな」という教えを守り続けている6代目を激励する中尾さんの一言とは...。
■志賀直哉も愛した尾道のかまぼこ
大正2年創業以来、日本の伝統食品であるかまぼこを作り続けて2013年で100年になる尾道市の「桂馬」。今も家族で切り盛りしている。 創業当時からのこだわりは、魚は決して冷凍を使わず、生魚をさばき使用。防腐剤等はもちろん使わず、見た目にも美しく楽しめるもの。 先ずは店頭で和菓子のように美しい蒲鉾に感動した中尾さん、 作る工程が見てみたいと工場へ。 工場でこだわりの工程を見学し、できたてを試食して一言「旨い!!」。 また「桂馬」は文豪 志賀直哉が愛したことでも有名。 1912年、千光寺山中にある棟割長屋に住んでいた志賀直哉。 自炊もままならない青年の世話を焼いたのが、隣に住む親切な婆さん「小林マツ」。 小説「暗夜行路」に登場する"隣に住む女性「マツ」"が、なんと「桂馬」の創業者のおばあさんだった??
■300年前から受け継がれた「牡蠣」の味
宮島の対岸にある「島田水産」、日本でひとつだけの牡蠣を造ろうと高い志のもと、ブランド牡蠣「安芸の一粒」を養殖している。 より天然に近い牡蠣が持つ本来のうま味を広島で復活させた。 厳島神社大鳥居の目の前にある牡蠣いかだの原点は、320年前にさかのぼる。 「島田水産」の祖・木屋周蔵は、牡蠣船の創世期1688年に、草津かき仲間を作り、 大阪表にかき船をだす。その後、京都鴨川に場所を移した「かき春」は、大正4年に最後のかき船となり、平成13年まで営業していたが、閉店。 その後、甥である島田水産社長に「かき春」の味を伝えたいと、レシピを伝授。 社長は5年前に「牡蠣小屋」を始め、そこのメニューに「かき春」の"牡蠣ご飯"を加えた。 旬の牡蠣養殖を間近で見ようと、早朝からなべさんと大ちゃんが「島田水産」に密着! 牡蠣筏に乗船し、カキ打ちも体験! そして秘伝の"牡蠣ご飯"も堪能!はたしてその作り方は!?
■名物駅弁のこだわり
宮島口の名物駅弁「あなごめし」は、明治34年(1901)から販売を始めた。 それが「あなごめしうえの」の創業。 それ以来、変わらぬ味で親しまれている宮島口の名物駅弁あなごめしは穴子のだし汁で炊いたご飯の上に、毎日継ぎ足し続けるタレにつけて焼いたアナゴがたっぷりとのる逸品。 代々、香ばしく焼くように伝えられてきた秘伝の焼き方で焼いた穴子と、土釜でわざとおこげを厚く作るご飯との相性は抜群! なべさんと大ちゃんが"あなごめし"の美味しさの秘密に迫ります!
老舗に人あり歴史あり、人に技あり絆あり、長年続く店には、その理由があります。守ってきた強い意思があります。
番組では、地元に愛され続けた老舗の歴史を紐解き、それを支えてきた人々の絆を描きました。
老舗を守るために脈々と伝えられてきた匠の技と伝統。
その老舗には広島県民のたくさんの思い出も・・・。
新しい年、変化の激しい時代をどう生き抜いていけばいいのか?! 私たちはその答えを探すために、老舗を訪ねる「旅」に出ます。 本物を知りつくしたゲスト=中尾彬さんを、松本裕見子が尾道や三原の老舗をご案内します。 そしてなべさんと大ちゃんは広島を代表する味、牡蠣とあなごの老舗へ!
■映画「東京物語」の舞台となった老舗割烹旅館
明治35年創業の老舗割烹旅館「竹村家本館」。 尾道水道を一望できる素晴らしいロケーションに建つ。 基本的にはテレビ取材お断りだが、今回は特別に取材を受けていただけることに! 大正時代に建て替えられた建物、門、塀が登録有形文化財に認定されており、文化財に宿泊できる日本国内でも数少ない宿。 映画「東京物語」の尾道ロケ地としても使われ、小津安二郎監督、主演の原節子なども宿泊し、先々代の女将が俳優に尾道弁指導もしたという。 お料理は瀬戸内海の天然の魚を使った本格懐石料理。 料理の美が器を、器の美が料理を引き出し、双方の美が重なり合ってこそ料理の神髄と器にもこだわる。その瀬戸内海の新鮮な魚の味に感激の中尾さん。 また、板場が何十年もの間、記録し続けているお客様の名前と食事のメニュー表に、20数年前に夫婦で宿泊した中尾さんの名前も発見し、さらに感激! この竹村家、創業当時は、なんと尾道初の「洋食屋」だったとか。 しかも今でも当時から続く裏メニューが存在する?! 2年間に先代の父親を亡くし跡を継いだ女将、その覚悟とは...。
■日本画の巨匠・横山大観が愛飲した酒
創業は万延2年(1860年)。そして明治の中期には当時有していた20の銘柄が一つとなり「醉心」が誕生した。三原の酒蔵「醉心山根本店」。 横山大観は日に2升3合、晩年でも1日1升飲んでいたいという。 その大観が最も愛飲した酒が三原の醉心。 大観と繋がりが深かったのは、先々代の山根薫(やまねかおる)社長で、出会いは昭和初期。 東京販売店にいつも酒を買いに来る上品な女性がいた。それが大観夫人。 興味を持った薫が自宅にうかがい酒造りの話をしたところ意気投合。 「酒づくりも絵を描くのも芸術だ」と大観は大いに共鳴。 感動した薫は一生分の飲み分を約束。それ以来大観は醉心に毎年1枚ずつ作品を寄贈。 この約束は、昭和33年に大観が永眠するまで続く。 無くなる2年前、薬や水さえ受け付けなくなった重体になった時でも、醉心だけは喉を越したという。 薫の口癖は「甘口とか辛口とかいうが、うちは旨口だ」。 その旨口のお酒を試飲した中尾さん、ふくよかな味わいにビックリ! さらに、今でも大切に保存されている貴重な大観の絵や、 「酔心のお酒を東京に送ってほしい」と頼む大観直筆の珍しい手紙も拝見することに。
■江戸時代創業の寿司屋
創業は、天保3年。当時は仕出し屋をしていたと言われる「宮徳」。 江戸時代から継ぎ足し使い続けているタレをつけて焼いた穴子が自慢。 この穴子がたっぷりと入り、せいろで蒸した"せいろすし"が江戸時代から続く料理。 料理を入れるせいろも江戸時代の物。 毎年、塗り直して大切に使い続けている。 中尾さんは温かいお寿司を気に入り、「味付けが繊細で素晴らしい!」と完食! 6代目の店主はアメリカの大学に通っていた頃、5代目の父が病気で倒れ、跡を継ぐことに。 父の形見の包丁を手に、「味付けは変えるな」という教えを守り続けている6代目を激励する中尾さんの一言とは...。
■志賀直哉も愛した尾道のかまぼこ
大正2年創業以来、日本の伝統食品であるかまぼこを作り続けて2013年で100年になる尾道市の「桂馬」。今も家族で切り盛りしている。 創業当時からのこだわりは、魚は決して冷凍を使わず、生魚をさばき使用。防腐剤等はもちろん使わず、見た目にも美しく楽しめるもの。 先ずは店頭で和菓子のように美しい蒲鉾に感動した中尾さん、 作る工程が見てみたいと工場へ。 工場でこだわりの工程を見学し、できたてを試食して一言「旨い!!」。 また「桂馬」は文豪 志賀直哉が愛したことでも有名。 1912年、千光寺山中にある棟割長屋に住んでいた志賀直哉。 自炊もままならない青年の世話を焼いたのが、隣に住む親切な婆さん「小林マツ」。 小説「暗夜行路」に登場する"隣に住む女性「マツ」"が、なんと「桂馬」の創業者のおばあさんだった??
■300年前から受け継がれた「牡蠣」の味
宮島の対岸にある「島田水産」、日本でひとつだけの牡蠣を造ろうと高い志のもと、ブランド牡蠣「安芸の一粒」を養殖している。 より天然に近い牡蠣が持つ本来のうま味を広島で復活させた。 厳島神社大鳥居の目の前にある牡蠣いかだの原点は、320年前にさかのぼる。 「島田水産」の祖・木屋周蔵は、牡蠣船の創世期1688年に、草津かき仲間を作り、 大阪表にかき船をだす。その後、京都鴨川に場所を移した「かき春」は、大正4年に最後のかき船となり、平成13年まで営業していたが、閉店。 その後、甥である島田水産社長に「かき春」の味を伝えたいと、レシピを伝授。 社長は5年前に「牡蠣小屋」を始め、そこのメニューに「かき春」の"牡蠣ご飯"を加えた。 旬の牡蠣養殖を間近で見ようと、早朝からなべさんと大ちゃんが「島田水産」に密着! 牡蠣筏に乗船し、カキ打ちも体験! そして秘伝の"牡蠣ご飯"も堪能!はたしてその作り方は!?
■名物駅弁のこだわり
宮島口の名物駅弁「あなごめし」は、明治34年(1901)から販売を始めた。 それが「あなごめしうえの」の創業。 それ以来、変わらぬ味で親しまれている宮島口の名物駅弁あなごめしは穴子のだし汁で炊いたご飯の上に、毎日継ぎ足し続けるタレにつけて焼いたアナゴがたっぷりとのる逸品。 代々、香ばしく焼くように伝えられてきた秘伝の焼き方で焼いた穴子と、土釜でわざとおこげを厚く作るご飯との相性は抜群! なべさんと大ちゃんが"あなごめし"の美味しさの秘密に迫ります!
老舗に人あり歴史あり、人に技あり絆あり、長年続く店には、その理由があります。守ってきた強い意思があります。
番組では、地元に愛され続けた老舗の歴史を紐解き、それを支えてきた人々の絆を描きました。
お問い合わせ
竹村家本館
尾道市久保3丁目14-1
0848-37-1112
映画「東京物語」の舞台となった明治35年創業の割烹旅館
醉心山根本店
三原市東町1丁目5-58
0848-62-3251
横山大観ゆかりの造り酒屋
宮徳
尾道市久保2丁目23-16
0848-37-3652
江戸時代創業“せいろすし”の味を守る店
桂馬
尾道市土堂1丁目9-3
0848-25-2490
大正2年創業の志賀直哉ゆかりの蒲鉾屋
島田水産
廿日市市宮島口西1丁目2-6
0829-56-2004
秘伝の“牡蠣ご飯”は「牡蠣小屋」で楽しめる
あなごめしうえの
廿日市市宮島口1丁目―6
0829-56-0006
明治34年創業の名物駅弁“あなごめし”
尾道市久保3丁目14-1
0848-37-1112
映画「東京物語」の舞台となった明治35年創業の割烹旅館
醉心山根本店
三原市東町1丁目5-58
0848-62-3251
横山大観ゆかりの造り酒屋
宮徳
尾道市久保2丁目23-16
0848-37-3652
江戸時代創業“せいろすし”の味を守る店
桂馬
尾道市土堂1丁目9-3
0848-25-2490
大正2年創業の志賀直哉ゆかりの蒲鉾屋
島田水産
廿日市市宮島口西1丁目2-6
0829-56-2004
秘伝の“牡蠣ご飯”は「牡蠣小屋」で楽しめる
あなごめしうえの
廿日市市宮島口1丁目―6
0829-56-0006
明治34年創業の名物駅弁“あなごめし”