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Home > ESSAY > 第47話 「新型ワーカホリック・ワクチン」
早朝、会社に向かう僕の背中の向こうから、彼女の声が届く。
「風邪なのに仕事して、辛くないの?」
「怒り」と「諦め」が綯い交ぜになったその声色は、より一層、僕の溜息を白くさせる。
僕は黙って頷き、iPodから流れるラヴェルの「ボレロ」に集中させた。
「ボレロ」の演奏時間は、約15分。
同じ旋律を繰り返しながら、大エンディングを迎える頃、僕は会社に到着するのだった。
火照る身体を騙しながら、パソコンのスイッチを入れる僕。
アイデアの森をウロウロと彷徨い、ルーティーンの妖精たちに追われ、一日中、見えない価値を探し求める孤独な旅。
傍から見れば、僕のお仕事は、「ボレロ」のように同じ旋律を、ただただ繰り返しながら、着地点を探している愚かな行為に過ぎないのかもしれない。
しかし、僕にとっては、その単調な行為の繰り返し果てに訪れるフィナーレは、とてつもなく気持ち良いのだ。
ワーカホリック。
「仕事」と「趣味」、そして、「日常」と「非日常」の境界線が曖昧になるこの中毒症状は、もちろん、僕にも感染している。
昼夜を忘れ、優先順位も固定化され、ただ、ひたすらに「仕事」を繰り返すからだ。
グッタリとした頭と体を目覚めさせるために、お気に入りのコーヒーを飲む。
すると、モカの香りが、昔の好きだった女性が言った「ある言葉」を思い出させた。
「男は30歳からだよ」
30歳の半ばを過ぎてから考えてみると、この言葉は、半分は正しく、半分はそうではない。
つまり、「男は30歳からだ」という「命題」は、「責任を背負い込めば、仕事は面白くなる」という「仮説」に置き換えられ、「負荷を掛けるということは、それを繰り返す」という「結論」に達するからだ。
繰り返す。
ある哲学者は言いました。
「人間は4つのことで幸せに生きられる。役に立つこと、認められること、褒められること、そして、愛されること」、と。
もしかしたら、仕事を通して、社会の役に立ち、世間に認められ、仲間に褒められることで、「幸せ」を獲得できているのならば、ワーカホリックとは、「幸せになりたい中毒」のことを指しているのかもしれない。
しかし、最も大切な4番目の幸せである「愛されること」は、仕事を通してでは、決して得ることはできない「行為」である。
なぜならば、愛されるには、繰り返し、愛さなければならないからだ。
ある哲学者は言いました。
「あなたが見たいと思う「変化」に、あなた自身がなりなさい」、と。
身体と頭の中を、まるでワクチンが抗体を作るまでに、ぐるぐると廻るように、僕たちは、生きながらにして、感染と治癒を繰り返すことで、人体は「変化」という進化を成し遂げるのだ。
絶望から希望へ。
受動から能動へ。
嫉妬から信頼へ。
そして、愛することから、愛されることへ。
もしかしたら、この「変化」を受け入れることが、30歳からの課題なのかもしれないし、もしかしたら、この「変化」こそが、ワーカホリックに必要なワクチンなのかもしれない。
その夜、僕は、ソファーに座っている彼女の背中に、そっと声を掛ける。
もう、繰り返しの日常に潜む「変化」を、見逃さないように。
「×××」、と。