番組は2015年3月をもって終了しました。8年間応援ありがとうございました!
新番組「よなよなテレビ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「今夜は、ナシゴレンを食べました。」
メールの末尾に、素っ気なく書き足される「本日のメニュー」。
ケンカをした翌日にも関わらず、いつものように、自分の食べた料理を報告する彼女。
僕にとっては、初めてのケンカということもあって、それはそれは、「非常事態」だというのに、彼女の淡々とした「日常業務」は、変わらない。
でも、そんな彼女のマイペースな性格が、僕は大好きなのである。
付き合うか付き合わないかの微妙な時期、僕たちのデートと言えば、決まって、「レストラン」だった。
僕が「お肉を食べたい」と言ったら、「サルティンボッカ」。
笑い過ぎて白いシャツにパプリカが飛び散った、「グヤーシュ」
野菜が苦手な僕を、知らんぷりして飲み続けた、「カズパチョ」。
あっという間に食べ終わってしまった、「ビーフストロガノフ」。
二人で恐る恐る食べた、「フェジョアーダ」。
忙しい僕たちの小さな世界旅行。
その旅こそが、様々な国の郷土料理を堪能する「二人だけのグルメツアー」なのだ。
メニューを決めるのは、彼女の役目。
レストランを予約するのは、僕の仕事。
そして、二人で「料理」を囲むと、他愛のない「会話」が彩りを深め、その国々の「味覚」と共に、僕たちの「記憶」の中に、刻まれていった。
思い出せば、その頃から、二人揃って食事を取れなかった日の夜、彼女の食べた「本日のメニュー」が、メールの末尾に加わるようになったのだ。
「今夜は、ラザニアを食べました。」
どうやら今日も、彼女のご機嫌は、斜めみたい。
イライラしている時、落ち込んだ時、彼女は決まって、「ラザニア」を食べる癖があるからだ。
ある料理家は言いました。
「『レシピ』という言葉には、『受け継ぐ』という意味がある。」、と。
「料理」は、その「家庭の味」として、母から子へ伝わっていく。
そして結婚すると、新たな「家庭の味」として「進化」し、再び、母から子へ、脈々と伝わっていくのだ。
「受け継ぐもの」と「受け継がれるもの」。
もしかしたら、こうして伝わる「二つの文脈」にこそ、「歴史」が存在しているのではないだろうか?
さらに言えば、受け継がれるものは、決して、「料理」に限られたことではない。
「何気ない仕草」のレシピ。
「ふとした時の表情」のレシピ。
「喜怒哀楽の言葉」のレシピ。
そんなありふれた「日常」の行為にも、何かしらの「レシピ」は、必ず、存在するのだ。
そう考えると、僕と彼女の間には、まだ「愛情のレシピ」が確立していないのかもしれない。
だからこそ、彼女は、「日常」を大切にするがあまり、マイペースを忘れ、歴史の浅い「現状」に苛立っているのだろう。
「今日は、僕がラザニアを作ります。」
仲直りのつもりで、初めて僕が作る「本日のメニュー」を、彼女にメール送信。
冷蔵庫には、挽き肉もトマトもあるし、もちろん、小麦粉やチーズだってある。
まずは、ミートソースを作るために、玉葱をみじん切り。
それから、オリーブオイルで挽き肉を炒めにかかるのだ。
ある哲学者は言いました。
「世界中で変わらないもの、それは、美味しい料理の前にある笑顔だ」、と。
彼女の笑顔を想像し、ワクワクしながらフライパンを操っていると、彼女からの返信メールが届いた。
そこには、僕の大嫌いな「ニンジン」の絵文字が、ひとつ。
これって、「宣戦布告」?
それとも、「仲直り」?
今でも僕は、こんなマイペースな彼女の心の中を、理解できない。
しかし、もしかしたら、こんな日常の中に潜む「文脈」を読み解きながら、苦しみ、悩むことで、僕と彼女の「愛情のレシピ」は形作られていくのだろう。
そして、僕は、彼女へ返信メールを送る。
もちろん、そこには、彼女の大嫌いな「ナスビ」の絵文字を、ひとつ。