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Home > ESSAY > 第3話 「ユートピアを求めて」
僕の本棚には、一足のシューズが飾られている。
それはただのシューズではなく、超長距離用のマラソン・シューズだ。
僕は以前、あるマラソン大会に参加した。
それは1994年に北海道で開催された「サロマ湖100キロマラソン」。
100キロ。
それは、とてつもなく長い距離だけど、当時の僕は20歳。
気力、体力ともに充実していたので、なんの疑いもなく、完走できると確信していた。
しかし、結果は74キロ地点でタイムアップ。無念の失格となってしまった。
そして、僕の頭の中にはひとつの問いが残った。
人はなぜ、走るのか?
マ ラソンは、才能のある者だけが楽しめるスポーツではない。なぜなら、人間はトレーニングによって自己の潜在能力を高められるからだ。最先端スポーツ科学の 研究によれば、敏捷性は1.2倍、筋力は3.6倍までその潜在能力を高めることができると報告されている。そして、長い距離を走るマラソンに必要な持久力 は、なんと6.5倍まで向上するのだ。
6.5倍。
限界まで能力を引き上げると、もう過去の自分とは別人になってしまう。こうなると、努力を続けることで、自分の「理想」を勝ち取ることができるし、走り続けることで、「希望」が持つことができるのだ。
理想と希望。
希望に満ちた理想のことを、人は、「ユートピア」という。
しかし、「ユートピア」というこの言葉は、語源であるラテン語では、「NO WHERE」を意味する。
NO WHERE。
つまり、「どこにもない」ってこと。理想や希望があると信じていたゴールの先に、ユートピアは存在しないのだ。しかし、そんな非情な事実を突き付けられても、マラソンランナーは走り続けなければならない。
人はなぜ、走るのか?
それは、ひょっとしたら、走り続けること、移動することで、初めて見える世界があるのではないかと、信じているからだ。ほら、よく見てごらん。
「NO WHERE」の「W」を移動すれば、「NOW HERE」になるではないか!!
NOW HERE。
そう、ゴールの先のユートピアは、「今、ここにある」のだ。
努力を続けることで自分を高める。すべては理想の自分に出会うため。しかし、大切なのは、今、ここにある現在を生き抜くこと。だからこそ、人は走り続けなければならないのだ。