番組は2015年3月をもって終了しました。8年間応援ありがとうございました!
新番組「よなよなテレビ」をどうぞよろしくお願いいたします。
青春。それは、夢や希望に満ち、活力のみなぎる若い時代のことを指す。
例えば、
ギラギラした太陽の下で汗を流しプレーする球児。
好きな女子との初デートで、手を繋げないもどかしさ。
肉汁したたるカルビ1枚で、ゴハン3杯はペロリの食欲。
将来はドリュー・バリモアと結婚するんだ!という思い込み。
これらはすべて「青春」である。
しかし、年を重ね、自分の歴史を振り返れば、「青春」は「懐かしさ」に変わる。
言い換えれば、青春が終わっているから懐かしさに変わるのだ。
では、いつ青春は終わるのか?
僕は、自分の名前が無くなった時に、青春は終焉を迎えるのだと考える。
人 はいつしか社会人になる。そして、新社会人は自分の名前を名乗る際に、自分の所属する会社の名前を先に述べる。この際、高校、大学などで得た自分の関係性 を捨て、会社の信用に頼り、上司の指示に従い、THE日本株式会社の中で時間を過ごさなくてはならない。つまり、名前を記号化し、無個性化することを、社 会は求めているのだ。
自分の名前の世界観が通用しなくなった時、青春は、突然、幕を閉じる。
団塊世代が定年を迎えようとしているこの時代、よく耳にする言葉は、「第二の青春」。
これはただ自分の名前を取り戻す行為に過ぎない。会社名や肩書き、地位や名誉も関係なく、ただ自分の名前を呼んでくれる環境を見つけることが「第二の青春」なのだろう。
青春。この瑞々しい言葉の中で生きるということは、人生という舞台で名前のある配役を演じることなのかもしれない。いや、生きている限り、主人公になりたいのが、人の欲望。だから皆、「青春」という魅力に取り付かれているのかもしれない。
もう、自分の名前が無くなっているというのに・・・