番組は2015年3月をもって終了しました。8年間応援ありがとうございました!
新番組「よなよなテレビ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「世の中には2種類の人間がいる」
人は、この言葉を、話まとめるツールとして使い、またある時は、議論を展開させるトピックとして使う。
例えば、「世の中には2種類の人間がいる」と口にした後、少し間を置き、そして言う。
「目玉焼きにソースをかける者と、醤油をかける者」
どちらでもよいではないか、と思うかもしれない。
では、両方を同時にかける者はどうなるのか?
だとすれば、世の中には「3種類の人間」がいるかもしれないし、他にも画期的な素材を目玉焼きにかける者が出現する可能性もある。
こうなると、目玉焼きによる2種類の人間の分類作業は困難を極めてくる。
では、コンピューターについて、そうした分類をする者がいたらどうか?
「世の中には2種類の人間がいる」と口にした後、少し間を置き、そして言う。
「窓を開ける者と、窓を閉める者」
つまり、コンピューターを使うことで、他者とのコミュニケーションを広げ、人間関係を構築していく者と、そうではなく、人間関係を遮断し、自分の世界にこもりがちになる者。
さらに、哲学的視点からこの分類をする者がいたらどうだろう?
「世の中には2種類の人間がいる」と口にした後、少し間を置き、そして言う。
「人間の価値を、「値段」で表す者と、「言葉」で表す者」
例えば、大横綱「千代の富士」を例に、この言葉を説明してみよう。
千代の富士に値段をつけるならば、獲得賞金を数えればよいだろう。
人間の価値を「値段」で表す者の思考は、常に「足し算」だからだ。
事実、千代の富士が「気力、体力ともに限界」と言えば、彼の「値段」は暴落した。
もう加えるものが無くなったからだ。
では、人間の価値を「言葉」で表す者の千代の富士はどうだろうか?
人間の価値を「言葉」で表す者は、言う。
「千代の富士こそ、偉大な物理学者である」、と。
なぜなら、千代の富士は土俵という宇宙の中で、独自の力学を駆使し、相手を投げ飛ばした。
言わば、「千代の富士の力学」の発見こそが、彼の価値である。
言葉で表す者は、「掛け合わせる」思考で答えを導くのだ。
世の中には2種類の人間がいる。
それは、「足し算思考の者と、掛け算思考の者」
しかし、なぜ人は世の中の人間を2種類に分けたがろうとするのだろうか?
千代の富士は、目玉焼きをたくさん食べて大きくなった。
千代の富士は、土俵という閉じられた場所でパワー全開だった。
千代の富士は、無口で言い訳など言わない。
どうやら簡単に2種類に分けられる関係性からは、新しい千代の富士は誕生しないようだ。
東と西。
白星と黒星。
ソップとアンコ。
雲龍型と不知火型。
世の中を2種類に分けている限り、土俵には登れない。
なぜなら、土俵は丸いからだ。
だから僕は、「世の中には2種類の人間がいる」といった言葉を使わない。
表現の土俵の中で、思いっきり戦うために。