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Home > ESSAY > 第35話 「時間論 ~運命非存在的証明~ ①」
ロシアの文豪、ドストエフスキーは、晩年、こんな覚書を残している。
人生とは道である。
私たちには、そこで様々な仕方で、出逢うことが起こる。
この出逢うこと、<邂逅>こそが、人生の真実である。
この<邂逅>の中に、無限の、汲み尽くせぬ、深淵が開かれるのである。
邂逅(かいこう)とは、「めぐりあい」を意味する言葉である。
人生という長い時間の中で、僕たちは多くの人たちと出会い、別れを繰り返す。
そこには、時代を彩る物語があり、僕が僕である理由が存在する。
そして、ある時、ある場所で、ふと、僕たちは掛け替えのない人に、出会うのだ。
運命。
その一瞬を、圧倒的な光で輝かす運命の出会い。
そんな運命の出会いに、人々は歓喜し、神に感謝する。
かくも強大で強力な目には見えないこの力こそが、「運命」であると人は信じている。
そしてまた、太古の時代から人間たちは、そんな心を揺さぶる「運命」の謎に挑んできた。
運命とは何ぞや?
アリストテレス、フッサール、サルトル、キルケゴール、ニーチェ。
知の巨人である哲学者は、運命の本質を見極めようとした。
ランボー、ゲーテ、プルースト、ヘルマン・ヘッセ、幸田露伴。
知の使者である文学者は、運命の可能性を見出そうとした。
しかし、誰一人として、その謎をスッキリ解明した人はいない。
なぜならば、その人自身が「運命」に魅了され、内なる対話に雑音が入ってしまうからだ。
運命の人。
誰しもが待ち焦がれ、出会ってしまうと、一瞬に恋に落ちてしまう運命の人。
しかし、「運命の人」は本当に存在するのだろうか?
その謎を解く方法は「時間論」の中にあると僕は考えている。
つづく