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第42話 「八分休符の足音」

ヨーロッパでは街の至る所で、「ベンチ」を見掛けることができる。
教会を見渡す丘の上に、石畳の路地裏に、街路樹の隣に、そっと、そのベンチは佇み、恋人たちの会話を育んでいる。

その日の昼下がり、ベルリンの気温は-5℃。
新年早々の寒波が、ドイツの空気を凍てつかせていた。
僕は、噴水が見える公園のベンチに座り、鋭利な寒さに背を丸めながらも、マスタードを塗りたくった熱々のソーセージを頬張っていた。
すると、突然、木々の間を、楽曲が通り過ぎる。

ベートーベン作曲、「交響曲第5番」。

偉大なる作曲家を育んだこの国で、まさか、その旋律を耳にするとは思ってもいなかった僕は、慌てて口に付いたマスタードを拭う。

「運命」

26歳のベートーベンは、この「運命」の作曲に勤しんでいる頃から、難聴に悩まされていたという。
徐々に薄れていく「外界の音」と、徐々に濃くなっていく「内なる声」。
その葛藤の狭間で、ベートーベンはあの旋律を生み出したのだ。

「ジャジャジャジャーン!ジャジャジャジャーーン!!」

交響曲第5番の冒頭、一斉に解き放たれる豪快な響き。
このあまりにも有名な旋律は、「運命の扉を開く音」として解釈されている。
しかし、この運命の旋律が奏でられる直前に、ひとつの「八分休符」が五線紙に記させていることをご存知だろうか?

「八分休符」

「運命が始まる前の一瞬の静寂」を示すたったひとつのこの八分休符は、どんなに優秀な指揮者でも、どんなに優秀な演奏家でも、正確に、その「間」を刻むことはできないと言われている。

ある哲学者は言いました。
「どんなに耳を澄ましていても、運命の足音は、誰にも聞こえない。」、と。

運命は、ある日、ある時、突然、やってくる。
ほんの少しの静寂の後に・・・

僕はソーセージを食しながら、「運命」の調べに身を委ねる。
すると、有名な運命の旋律がある第一楽章は、たったの10分にも満たないまま終わり、第2楽章へ突入していく。
実は、交響曲第5番は、最後の第四楽章まで演奏すると40分もある超大作なのだ。
つまり、運命は、始まってからの物語の方が、ずっと長いのだ。

僕たちの運命は、たった今、始まったに過ぎない。
だからこそ、もっともっと、語り合わなければならないのだ。
そう、このベンチに座って・・・

  • 11月11日生まれ
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  • 銀行員からTV業界へ転身した異色ディレクター
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  • 将来の夢は直木賞作家
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