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Home > ESSAY > 第11話 「記録された初体験 ~前編~」
ある哲学者は言った。
「生きること。それは、過去の体験を繰り返しているにすぎない。」、と。
ならば、その過去の経験を辿って行けば、必ず、一つの「始点」に到達する。
初体験。
人生において、この「初体験」と呼ばれる行為は、とかく賛美され、思い入れも深い。
その証拠に、親になった者は、自分の子供の「初体験」を記録したがる。
初めての誕生日。初めてのブランコ。初めての運動会。初めてのワサビ。
嬉々として向けられるカメラレンズの先に、いくつもの「初体験」の物語が存在する。
未知な体験への不安と希望。
味わったことの無い喜怒哀楽が、人生に奥深さを与えるのだ。
もちろん、僕にも様々な「初体験」が存在する。そして僕は、「それ」を記録してきた。
初体験を記録する。
1995年の夏。とあるCMが全国のお茶の間を刺激した。それは、紙を使わないトイレの物語。そう、「ウォシュレット」の誕生だ。
その当事、ウォシュレットという装置は、まだ一般家庭に普及されてなく、それは希少で高価な価値として経済的に取引されていた。
だからこそ、その行為への興味は、20歳代に入ってまもない僕の心を強く支配した。
ウォシュレットの初体験を記録しよう!
僕は同志2人をかき集め、「ウォシュレット初体験同盟」を結成し、その運命の結末を共に誓った。早速、僕たちはビデオカメラを3台レンタル。しかし、これは貴重な貴重な初体験。
素敵な思い出にしたい僕たちは、お相手するウォシュレットにある種の「理想」を描いた。
それは恋する乙女が王子様をお慕い申すように。
僕たちは、まだ見ぬロマンを抱きながら、初めてのウォシュレットを迎える場所へ向かった。
聖地、「帝国ホテル」。
僕たちはビデオカメラの録画ボタンを押し、この誉れ高きホテルにひっそりと潜入した。
荘厳の大理石が敷き詰められたロビーに、僕たちの足音だけが反響する。
高鳴る菊の鼓動を聞かれないように僕たちは、グランドフロアの奥に潜むトイレへと急いだ。
~つづく~