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Home > ESSAY > 第14話 「憧れの人 ~後編~」
神様のタクトは、いつも突然、振り下ろされる。
そんな時、僕たちはどんな音を奏でればいいのだろうか?
僕は今、「憧れの人」、国仲涼子と共にたこ焼きを作っている。小麦粉を注ぎ、キャベツや天カス、そして、ぶつ切りのタコを入れ、クルクルとこんがり焼き上げている。どうやら、たこ焼きの作り方は、沖縄と広島では差異はないようだ。差異があるとすれば、二人の頭の中だろう。
僕 の頭の中は、彼女への感謝の思いでいっぱいだった。彼女の笑顔に、僕はどれだけ救われたことだろう。ドラマの中の話とはいえ、夢に挑んでいく直向さに、仲 間を思いやる優しさに、恋人を慕う一途さに、家族を愛する素直さに、僕はただ涙を流したのだ。当時の思いが、僕の頭の中でクルクルと逡巡する。
無言の作業の末に、真っ白なプレートにたこ焼きがたっぷりと並ぶ。
僕は思い切って彼女に声を掛ける。
僕、「できましたね...」 彼女、「美味しそう!」
僕、「実は僕、、、」 彼女、「ソースはどこかな?」
彼女の頭の中は、たこ焼きのことでいっぱいだった。
そう、彼女は典型的なB型。つまり、超マイペース人間。
気配りマックスA型の僕とは、相反する人間だったのだ。
理想と現実。 真実と虚構。
A型とB型。 たこ焼きとお好み焼き。
僕は失望の飛行機の中で、ある言葉を思い出した。
「情報とは差異である」 by グレゴリー・ベイトソン (文化人類学者)
「憧れ」という情報の中に、差異があるならば、それは対象の差異である。
憧れの人と憧れる人。
その差異を乗り越え、同じ土俵で戦わない限り、決して、憧れは昇華できないのだ。
思い出の中で過ごしているだけでは、人は傷つかないけれど...
神様のタクトは、いつも突然、振り下ろされる。
そんな時の音は、決まって「不協和音」となるのだ。