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第37話 「時間論 ~運命非存在的証明~ ③」

幸田露伴はその著書「運命」の冒頭部分でこんな書き出しをしている。

世おのづから数というもの有りや。
有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。

もともと、「数」という文字の中には、「運命」という意味が込められている。
例えば、古代中国の易学においては特定の数字が聖数として崇められたり、キリスト教の世界においても特定の数字が忌み嫌われたりしている。
そして、幸田露伴の文章を簡単に言うならば、こんなあっさりしたものになる。

「運命は存在すると言えば存在するかもしれないし、無いと言えば無いのかもしれない。」、と。

僕は、そんな不安定で不確かな「想像力」の思考の中で闘っているのかもしれない。
つまり、圧倒的で強力な「運命」という現象は、実は、自分自身の「想像力」によって肥大し、劇薬となっているだけの事象にすぎないのだ。
どこにでもあるような恋人たちの喧嘩や、いつまでも終わらない民族紛争も、この「想像力」が原因であるように、僕の「運命の人」も、僕自身の頭の中に存在する想像上の産物にすぎないなのだ。

運命は、決して現れない。
だから、運命を待ってはいけない。

人生という長い旅路の中で、人は、自分自身の人生を豊かにするために、「運命」という演出を後付けで施し、人生の「物語」を編集しながら生きている。
しかし、人の命が有限であるかぎり、「時間」が平等に与えられているかぎり、僕たちは、「運命」という言葉に頼らない、新たな「人生の編集方法」の確立を目指すべきではないだろうか。

知の巨人である哲学者が、「人生の編集方法」の発見に挑んだように。
知の使者である文学者が、「人生の編集方法」の応用に挑んだように。
ちっぽけな僕たちも、「人生の編集方法」を考え続けなければならないのだ。


「あなたの人生を3分でまとめるとしたら、どんな物語になりますか?」


そんな命題に答えることができるのは、決して、「運命」という言葉ではなく、もっと、ありふてれいて、もっと、当たり前で、そしてそれは、どこにでもあるような「原理原則」みたいなものである、と、僕は信じている。
だからこそ、僕は、限られた時間の中で、「人生の編集方法」を作り出せる人になりたいのだ。


~完~

  • 11月11日生まれ
  • A型 さそり座
  • ICU 教養学部 数学専攻卒
  • 銀行員からTV業界へ転身した異色ディレクター
  • 好きな食べ物 すき焼・チョコレート・メロン
  • 好きな言葉 「移動距離とアイデアの数は比例する」
  • 将来の夢は直木賞作家
  • 現在、花嫁募集中

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